斯くも詮なき日常に

イギリスに移住した28歳男のブログ

同性愛者の義妹の心配

一年以上ぶりの更新である。

一歩進めば100回休むという性分は大人になってからもやはり変わらず、「三つ子の魂百までも」などということわざの正しさをまた証明してしまうのであった。

現在の私の状況としては、今年の2月に無事に結婚。結婚ビザの申請をして、現在その審査待ちである。近況報告終わり。

 

さて、今日はLGBTにまつわる個人的な体験の話をしようと思う。

これは結婚式の後に聞いた話なのだが、レズビアンである義妹は私の両親に初めて会うに際し、幾分緊張していたらしい。自分が同性愛者で彼女を連れている事を奇異の目で見られるのではないかと。

幸いにして私の両親はおおらかな性格であり、特段そのような事を気にする事もなく、私も最初から心配はしていなかった。(むしろ彼らは長旅の疲れを理由に息子の結婚式ですら早々に切り上げて先に宿に戻ったのだ!)

もし義妹が結婚式の前にそのような事を考えている事を知っていたなら、その心配は無用である事を伝え、少しでも彼女の気持ちを軽くしてやれたかもしれない。

しかしながら、同性婚が認められた英国にあっても、個人の性にまつわる話はやはりセンシティブなもので、義妹としても軽々と話せるものではなかったのだろう。

こちらに住んでいても、日本で横行する性差別の話題は時折耳に飛び込んでくる。義妹の心配も頷けるほどには。

 

日本で働いていた時、映像や新しい技術を使った現代アート展示の会場設営をした事がある。そのコーナーの一角に同性愛者のカップルが自分たちの遺伝子を使って子供ができたらどんな風だろう、というテーマで兄弟の精巧な人形を作り、まるで現実に存在するような家族風景の写真を展示していた。

設営が終わり、撤収作業をしている際にその展示の前に差し掛かると、一緒にいた年配の同業者がおもむろに口を開いた。

「わしはな、同性愛というものにはどうにも反対じゃ」

当時は目上の人間の意見にはとりあえず反対しない事、などという馬鹿げた処世術を身につけていたため、特に深く突っ込む事もしなかった。

「そうなんですか、でも僕の彼女の妹も同性愛者ですよ」

そう言うのが精一杯の抵抗だったのだろう。

「そうなんか、でもな世の中が同性愛ばかりの人間になったら子供が産めず社会が駄目になってしまうじゃろう。だからな、お前さんの彼女の妹には悪いが、わしは認められん」

そこで私はそうなんですね、と一言だけ返して、話を終わらせてしまった事を今でも時々後悔している。

今にして思えば某女性議員の"生産性"発言に通ずるものがあるのだろう。

そんなもので個人の幸福を追求する事のできない社会はクソ喰らえである。

同性愛を認める認めないに関わらず、同性愛者は確実にそこに存在している。

同性愛を社会が容認したからと言って、同性愛者の数が増えるのではなく、カミングアウトしやすい環境により可視化される人数が増えるだけではないのか。

もうすぐ生まれる自分の子供が同性愛者だったとしたらどうする。その子供の幸せすらも平気で奪えるのか。

数年以上も昔の事に関して、今でも未練がましくこのような反論を考えている自分もなかなかに救い難いのだが。

 

そのような事を思い返し、義妹の心配も杞憂であると一笑に付す事のできない日本を恥じた。