斯くも詮なき日常に

イギリスに移住した30歳男のブログ

ブラックフェイス問題を受けて、イギリス人が日本で感じた差別

前回記事

pekepon.hatenablog.com

 

 

前回の記事の続きを書こうとしたが、ここ最近のネット界隈の動きを見る限り、想像以上に根深い問題の様に思えてきた。

グローバル化の進む昨今、一個人にすぎない私がここで善悪の判断を問うたところでクソの役にも立たない不毛な記事になる事は火を見るよりも明らかである。

それでは逆に、一個人である私がHollyの視点を借りて、現代日本に存在する差別に関して記していこうと思う。

能書きだけ垂れて、面倒臭くなった訳ではない。

そんな事は、絶対にない。

 

これは彼女と私の主観が入り混じっており、どっちに転んでも一方的な書き方になるのは構造上仕方がない。悪しからず。

 

アパートを借りられない

外国人であるという理由だけで賃貸契約を断る大家が大多数を占めている。

ALTを辞めて一般の幼稚園へ職場を移した際、引越しの必要に迫られたのだが、結局レオパレス21でしか部屋を借りられなかった。

賃貸不動産屋に行った時点で、担当者から外国人であるために選択肢が少ない事を言われた。

大家達の言い分としては、外国人はよく近所トラブルを起こす、パーティを開いては深夜まで騒がしくする、部屋を綺麗に使わないetc...

外国人であると言う理由で部屋が借りられないのは差別ではないかと、担当者に聞いてみたところ、外国人は悪さするから仕方なくない...?との態度だったと言う。

 

日本語の発音を真似される

ALTとして小学校や中学校を回っていた時、生徒からよく日本語の発音をからかわれたという。

分別の付かぬ年頃を相手にしている事を考えれば致し方の事かもしれないが、同時に良い教育の機会でもある。

しかし担当の英語教師は特段注意する事もなく、黙って見ているだけだったそうだ。

正確な英語の発音を試みるつもりもない奴らに限ってこういった真似をする。

まぁ子供のする事であるからに大目に見てやって欲しいところではあるが、中学生にもなってその程度のモラルしか持てない事こそ問題だという。

 

発音といえば余談ではあるが、私がまだHollyと付き合って日の浅い頃、性行為の最中に「私の顔の上に座ってください」と英語で言おうとした。

しかし「S」と「Sh」の発音の区別が付かなかった私は

"Sit on my face."「私の顔の上に座ってください」

と言うつもりで

"Shit on my face."「私の顔の上にウンコをしてください」

と言ってしまった。

それを聞いた彼女は、果たしてこの特殊な性癖に対してどこまで応えるべきが真剣に悩んだと言う。

「しかし、このレベルの性的リクエストをするのであれば事前の相談があって然るべき、なおかつここは彼の部屋で布団にはウンコをブチまけられる様な準備は何もしていない。」

「つまり何か別のことを頼もうとして、間違えた英語を喋ってしまったに違いない。」

「日本人がよく間違える発音の一つに「S」と「Sh」がある。」

「つまり彼のリクエストは『私の顔の上に座ってください』だ!」

この時ほど、彼女の理性と推理力に感謝した事はない。

他にも間違えやすい単語として"election"と"erection"がある。

「選挙」の話をしている最中、「勃起」についての発言してしまわぬ様に。

  

同性愛に関する理解の遅さ

これもALTとしての仕事の際に起きた出来事である。

彼女の妹は同性愛者であり同性の恋人いる。その事を授業で話した際に一人の女子生徒が「キモっ」っと発したそうな。

分別の付かぬ年頃を相手にしている事を考えれば致し方の事かもしれないが、同時に良い教育の機会でもある。

怒った彼女は、目の前で人の身内を馬鹿にするとは何事か、とその女子生徒に迫った後、日本にも同性愛の人間はいるが、あなたの様な物の言い方をする人が多いから、なかなか名乗り出ることが出来ずに生きにくさを感じているのだよ、と優しく諭したそうだ。

 

余談ではあるが、私は銭湯で変なおじさんに絡まれた事がある。

ある日銭湯の湯船に浸かり日頃の疲れを癒していると、私の目線の先にぱっかり開いた股を見せつけ、ニタニタ笑うおじさんが現れた。

気味の悪さを感じ別の湯船へ移動するも 、すぐさまそのおじさんが私の後を付け、同じ様にして目線の先でぱっかり股を開くのだった。

その様な攻防を二、三度繰り返し(私の防戦一方であるが)、ついにおじさんが股間に手をやり自慰を始めた辺りで耐えられなくなった。

プルプルと震えながら精一杯の虚勢を張り、勢いよく湯船から立ち上がるや早足に出口を目指し、おじさんとすれ違う瞬間横目にギリリと睨め付け、舌打ちを一つ鳴らしてやった。

なんとも情けない撤退である。

この様な話をすると、同性愛者に対する差別を助長している様にも取られかねないが、この話の問題は、おじさんが「同性愛者」である事ではなく、「変質者」である事だ。

道端で淑女に股間を見せつけ悦びを感じる「変質者」と同質であり、向けられるべき嫌悪の種類にも変わりはない。

さらに余談ではあるが、後日私の友人も同じ銭湯にて見知らぬおじさんに足を撫でられたという。

そんな珍しいことが二度も三度もあってたまるかと、インターネットにてその銭湯を検索してみたところ、そこは地元で有名なハッテン場であった。

その事を勘定に入れると、私も少しは、本当に少しは悪かったのかもしれない。

 

日本語がうまくないだけで子供扱いされる、お世辞文化

高齢者の方に多いのだが、日本語がうまくないだけで、メンタリティも子供であるかの様な扱いをされる事に、腹が立って仕方がなかったそうだ。 

 大学を卒業して単身異国に赴く行動力を持つ人間の頭が悪いわけがないだろうが、とは彼女の言葉だ。

よく言われる「日本語お上手ですね」対しても、自分の日本語が上手くないのはわかっているし、そのセリフは嫌という程聞き飽きているから、もう言わないで欲しいと多くの在日外国人が願っている。私も彼女と初めて会った時は言ってしまったのだが。

接客の際のリップサービスも過剰で、あからさまなお世辞を受けて気を良くする人間が実在するのか?と彼女は疑問を呈する。

 

ハーフが普通の日本人として扱われない

教室にハーフの子供がいると、ハーフだからこの外国人の先生と話してみて、等と言われるそうだ。

日本で生まれて日本で育ち、日本語しか喋れないにも関わらず、見た目だけでその様な冗談を言う事が差別的であると言う。

正直、些細な事ではとも思ったが、ハーフの人間からすれば生まれてから死ぬまでずっと付いて回る事である。

中身も考えも私たちと何も変わらない一般的な日本人であるにも関わらずだ。

 

お祭り等で勝手に写真を撮られる

他の外国人の友達と連れ立って地元のお祭りに参加すると、よく一緒に写真を撮っても良いかと聞かれ、悪い時は断りもなくシャッターを切られる事が多いのだと言う。

主におじさんに多い。

外国人は動物園のパンダでもなければ夢の国の黒鼠でもない。

外国人もこのお祭りを楽しんでます的な絵が欲しいのだろうが、外国人だろうが日本人だろうが関係ないだろ、との事。

日本人にやっておかしい事は、外国人にやってもおかしい事だ。

余談ではあるが、イギリスで購入したiphoneはカメラのシャッター音を完全に消す事ができる。

日本であれば消音カメラなどのアプリが必要だが、こちらではデフォルトのカメラでそれが可能だ。

Hollyに言うと、日本みたいな変態盗撮文化はここにはないからと、なんとも差別的な言葉をいただいた。

 

中国、韓国、東南アジアの人間を基本的に見下している

これについては私自身思い当たる節もあり、少々耳の痛い話だ。

学生時代は今でいうネトウヨと呼ばれる様な人間であった自覚もある。

しかし今では中国人の友達もいる。

Hollyの友人達との飲み会で言葉の通じぬ中、一人寂しく酒を飲んでいた私に声をかけてくれた彼は韓国人だった。

中国にも韓国にもいい奴もいるし悪いやつもいる。

日本にもいい奴もいるし悪いやつもいる。

今はそれくらいの考え方に留めている。

近隣の国と仲良くするのは難しいのは世界中どこでも言えることだ。

イギリスもフランスとは仲が良くない。特に離脱宣言以降。

慰安婦問題については2015年に日韓合意が結ばれている以上、何度も蒸し返されるのはどうかと思うが。

Hollyの友人に東南アジアからの外国人実習生として造船所で働いていた人たちがいたが、彼らは恐ろしく低い賃金と過酷な労働時間、その上2、3年したら母国に返され日本に住む事も許されないという最悪の条件で働かされていた。

保育士や介護士の人手不足について、海外からの労働者を受け入れてはどうかと話してみても、家族を外国人に任せるのは少し怖いとの事だった。

果たして、超少子高齢社会を目前に控えた日本が外国人労働者の助力なしに社会を継続させることが出来るのだろうか。

このままでは頼んでも、誰も日本へ働きに来てはくれなくなるだろう。

一抜けした私が言うのもなんだがな!

 

終わりに

誤解なき様に一応言っておくが、私もHollyも日本が好きだ。

今後日本の人権意識が他の先進国と足並みを合わせるか、日本独自の路線を貫くかはわからない。

今回のブラックフェイスに関しての賛否は半々といったところだ。

いずれにせよ、少しずつでも日本が世界に誇れる良い国になっていく事を願うばかりだ。

ガキの使いやあらへんで、ブラックフェイスについて

年越しを目前に控えた大晦日の昼間、日本に住むニュージランド人の友達からHollyに宛てて一通のメールが届いた。しばらくスマホの画面を凝視したのち、ぷりぷりと怒り出したので、一体どうしたとメールの中身を見せてもらった。

「Jesus japan :S wholesome new years eve viewing」

テキストの後にはダウンタウン浜田がエディ・マーフィーに扮した画像が添付されていた。

日本とイギリスの時差は現在九時間である為、年末恒例のガキ使「笑ってはいけない〇〇」の放送が始まった頃なのだろう。

番組冒頭では毎回出演者がお題に関したコスチュームを着せられ、ダウンタウン浜田だけが他の出演者とは少しズレた格好で登場しオチを付けるという流れがお約束である。

今回は「笑ってはいけないアメリカンポリス」という事で、ビバリーヒルズに出演するエディ・マーフィーの格好を再現する為に、服装のみならず肌の色まで黒く塗った事で、在日外国人達の間でざわめきが広がったらしい。

正直な話、一介の日本人であり人権意識が特別高いわけでもない私には何が問題なのかその時にはよく分からなかった。

「まぁ差別っぽいと言われれば差別かもしれないし、あまりいい事ではないよね」

そう言うとHollyは殊更に怒りを強め、何故ブラックフェイスが許されないのかを私に熱弁してくれた。

その後、日本に住む黒人の方がツイッターにてこれは差別であると表明し、ネット界隈でも取り沙汰され始めた。

ある程度炎上した後、テレビ局が謝罪文を出して終息。そんな流れを予想していたが、意外な事にこのブラックフェイスの是非については賛否両論であり、擁護する側の声が決して小さくない事に驚いた。

そこで今回は無自覚的な差別主義者であった私がいかにして差別に対して学んでいったかを記す。見出しは、その過程で私が実際に感じた疑問である。

これは備忘録であり、オピニオンだ。

しょうもない義憤に駆られた男の妄言に過ぎないかもしれないが、問題を紐解く上での一助となれば、幸いである。

 

ブラックフェイスとは

そもそもブラックフェイスとはどういったものを指すのだろうか。

多人種が黒人を真似て顔を黒く塗る行為そのものが「ブラックフェイス」と呼ばれているようだ。

その起源は1800年に米国で流行した「ミンストレル・ショー」であり、現在黒人に扮する事が差別的とされる原因の大部分を占めている。

これは白人が顔を黒く塗りあげ黒人の格好で誇張された黒人英語を話し、知能が低く無教養で下品なキャラクターとして演じられた。そのキャラクターを茶化し、見下し、笑い者にすると言う喜劇の形を取られたという。

反黒人的なプロパガンダの元に作られた訳ではなく、あくまで娯楽的なショーの一つであった。(そのような扇動を行うまでもなく、当時の社会では黒人は紛れもなく社会の最下層であった。)

その為必ずしも否定的な描かれ方をした訳では無かったが、黒人のパーソナリティを陽気ではあるが低俗と言う誤ったステレオタイプとして広める事となった。

 

何故ブラックフェイスがNGなのか、白人のモノマネなら良いのか

これが一般論であることを祈るばかりだが、そもそも「人の身体的特徴を真似したり指摘したりして笑いを取る」という事自体が悪いことだろう。

肌の色や身体を自ら選んで生まれて来る人間などいやしないのだ。

私も以前の会社でしばしば目の小ささをからかわれる事があったが、あまり気持ちの良い物では無かったし、とても些細な事だが、そのような経験は誰しもが持ち得る物ではなかろうか。

さらにこれが肌の色、とりわけ黒い肌を真似るとなると問題は比較にならないほど深刻だ。

黒人には奴隷として売り買いされ、人権を持つ事すら許されなかった時代が存在している。

今でこそ差別は違法とされ、その生命と人権が保障されているが、そんな当たり前の事ですらキング牧師マルコムXなど多くの黒人が実際に血を流して勝ち取った物だ。

 それでもなお、差別が根絶されたとは到底言えず、黒人であるというだけの理由で不利益を被っている人間はこの世界に確実に存在し続けている。

つまり、黒人を茶化したりする事は世界的に非常にセンシティブな問題なのだ。

肌を白く塗り金髪のカツラを被った上、大きな鼻を付けて片言の日本語を喋ったのなら、人種差別的ではあるものの、ギリギリ笑って済ませられるレベルだろう。見ている方が恥ずかしくなるくらい、ダサい事ではあるが。

しかし、黒人に関しては笑い事では済まないのだ。

 

黒人ではなく、エディ・マーフィーの真似なのだが

もし今回、浜田がコスチュームを変えて登場した際、エディ・マーフィー本人と見紛うようなパフォーマンスをやってのけたとしたら、(確実に問題にはなっていただろうが)ここまでの怒りは買わなかったはずだ。

その笑いに至るまでの過程にリスペクトと研究があるからだ。

今回の件がここまでの騒ぎになった理由の一つは、外見だけを真似するというチープな演出にあり、浜田の若干嫌そうな顔とそれを見て爆笑するという構図が不味かった様である。

制作サイドにその意図が無かったとしても、結果としては黒人の「見た目だけ」を笑いのオチに使われた形となったからだ。

黒人はいつも「見た目だけ」で差別をされている。

 

続く

 

ここまで書くうちに、途中で面倒くさくなり記事を消そうとも考えた。

私がこの様な記事を書くまでもなく、きっと他の誰かが似た様な内容をより解りやすく書いてくれるだろうし、何も変わりやしないよ、と。

その旨をHollyに伝えると憤懣やるかたなしといった様子で

「その様な考え方こそが、日本人の抱える問題の一つである」

と一喝された。

自分が何を言ってもどうせ変わらないと投げていては、永遠に何も変わらないままである。支持する意見の正誤がどうであれ、それをぶつけ合わねば問題は先へと進まないだろうとありがたいお言葉まで頂戴した。

つくづく、彼女と一緒に英国へと渡って良かったと思っている。

舞台借り暮らしのアリエッティ、劇場「水車」、そして凶鳥

 演劇のチケットを譲り受けた。

元々は義母の同僚が行く予定だったのだが、一家で体調を崩してしまったという。

4枚あるという事で私とHolly、義妹と義妹の彼女の四人で行く事に。

タイトルは「The Borrowers」

床下に住む小人が、人間から様々な生活必需品を拝借して暮らす話であるという。

出発前にグーグル検索で予習をすると、案の定「借り暮らしのアリエッティ」の原作であった。主人公の名前がそのままアリエッティである。

会場は隣町ニューブリーにあるウォーターミルという場所だ。

劇場に到着すると、足元にたくさんの鴨がたむろしていた。

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普段イメージする鴨よりもひと回り大きく、猛々しい赤い色の顔をしているがモコモコとしていてとても可愛い。

そこら中に動物がいるのは、私が英国を好きな所の一つだ。

全く人を恐れない鴨たちに囲まれ心癒されていると、一際目を引く純白の大きな鳥がいた。

白鳥さんである。

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幼稚園の頃の将来の夢が白鳥さんであった私は一緒に楽しくダンスでも踊ろうと思い、片手を上げ親しげに歩み寄った。おぉ同志よ、ここにいたのか。

その瞬間、Hollyに信じられないと言った様子で怒鳴られた。

「それ以上近づくな!」

ビクッと体を震わせ、恐る恐る振り返った私の手を引き、Hollyは白鳥から距離をとった。義妹もその彼女も苦笑いである。

なんでも白鳥の持つ気性の激しさたるや筆舌に尽し難く、息を飲むような白無垢姿からは想像もつかないほどに腹黒であり、気安く近づこうものなら、よく伸びる首と鋭い嘴を以って狼藉者をど突き回し、決して許さず地の果てまで追いかけるのだという。

Hollyがまだほんの少女であった頃、両親と訪れた池のほとりにて鴨達に餌をやっていると、茂みの中からのそのそと白鳥が現れ、不気味な叫び声とその大きな体躯を持って非力なる鴨達を蹴散らし、餌を独り占めしたまでは良いが、唖然としている少女Hollyにまで嫌な横目を使い、まだ食べ物を隠し持っているのではないかとにじり寄ってきたそうだ。その時は両親に連れられ素早く退散し事なきを得たものの、それ以降しばらく白鳥を見ると動悸が止まらなかったという。

今でこそ人畜無害な見た目を装い、生態系におけるそこそこの地位に甘んじている鳥類ではあるが、かつてはこの地上のすべてを欲しいままにした大恐竜の末裔である。

認識を改めねば命がいくつあっても足りないだろう。

実際にアメリカでは白鳥による殺人の例も報告されているようだ。

危機一髪、Hollyの機転により命拾いした私は遠くから写真を撮るに留め、逃げるようにして劇場へと急いだ。

 

劇場内に入るとロビーはすでに人で溢れていた。

この時初めて知ったのだが、今回の劇団は英国内ではとても有名であり、一年前からチケットの争奪戦が繰り広げられていたらしい。会場のキャパシティも少ないため、それはそれは入手の難しいチケットだったという。

ちょっとした駄菓子と、ホットワイン、コーヒーなどが売られていた。

開場の時間となり、ロビーから客席へ移動していると廊下のガラス張りの向こうに大きな水車があった。劇場の名前「ウォーターミル」の由来である。

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前日までの積雪もあってか恐ろしい勢いで水が流れていた。

会場内に入ると予想していたよりも遥かにこじんまりとしていた。

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当然ながら、公演中の撮影はご法度であり、ストーリーについては「借り暮らしのアリエッティ」そのものだった為、ここでは詳しく書かない。

しかし演出については神がかっていた。

声は肉声だったが、歌う時や空間を演出する時はリヴァーブやディレイの音のみが小さなスピーカーから発せられており、楽器もすべて生演奏だった。

普通の人間と小人のそれぞれ異なる大きさの演出が非常に巧みで、これは一例であるが、舞台の一番前で少年役の男が小さな人形のぶら下げられた紐を摘まみ上げると、舞台後方で小人役の男が実際にロープで引き上げられ、お互いに会話を始めると言った具合だ。

他にも、舞台の二階で少年役が箱を開けると、一階にいる小人役に箱が開いたような照明が当たると共に、天井からはらはらと木屑が落ちてくるなど、あの手この手で大きさの差異を体感できる仕組みになっていた。

英語がわからないのに、ストーリーに付いていけるのかしらんと不安を覚えていたが、そんなものは杞憂に終わり、あっという間の1時間半だった。とにかくその演出の面白さに開幕五分で釘付けになった。

 

来年の公園は「ロビンフット」だという。

かくして私もこの劇団の虜となり、これより始まる新たなチケット争奪戦に身を投じる覚悟である。

イギリス書き散らし2

冷え込む駅のプラットフォーム。暖かい飲み物でも買おうかと思って覗いた自動販売機。

お菓子が異常に充実しているが、暖かい飲み物はない。

Hollyはイギリスでホットドリンクを売る自動販売機は見た事がないという。

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wasabi」という寿司屋で買った弁当。

久々の日本の料理に心ときめかせ食したところ、いわゆる韓国料理のプルコギであった。

あとで商品棚を確認すると、そこにはちゃんとプルコギと書かれてあった。

 私が悪い。とても辛かった。

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義妹の趣味が乗馬である。なんとも英国らしい。

犬の散歩がてら馬の様子を見に行くと、この日は蹄鉄の交換をするために職人の方が来ていた。 

鮮やかなる手捌きは見事という他なく、あっという間に4本足全ての作業が終わった。

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七面鳥である。鳥の形状をしている。

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 いつもと違う犬の散歩道で見かけたアルパカ。

この日はとても霧深く、森の中はさながらイニストラードの様であった。

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レゴで作られたカイロ・レン。

結局未だにep8を見に行けていない。

果たして彼は強くなったのだろうか。

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KFCのないクリスマス

「斯くも詮なき日常に」という会心のタイトルではあるが、「読み辛い、覚えにくい、ブログの内容も伝わらない、その上にイギリスの暮らしが退屈だとでも言いたいのか」などと正論をこれでもかと突きつけられ、ささやかな抵抗も虚しく泣く泣くタイトルを変えた次第である。ブログタイトルに自らの名を冠するとはいかにも傲岸不遜な自己陶酔の感があるが、欧米では一般的な事らしい。郷に入れば郷に従うのみである。

 

さて、イギリスに暮らす上で最も重要な一日、クリスマスとボクシングデーが終わった。

親戚一同で食卓を囲み、飲んだり食べたり遊んだり、それはそれは楽しい数日間であった。皆でプレゼントを交換し、入っていたパズルを組み立て、ボードゲームで遊び、チョコレートを分け合った。

私はHollyからHGフルアーマーユニコーンガンダムを、義両親からMGエクシアと犬の散歩セットを頂戴した。夢にまでみたガンプラである。犬の散歩セットには義父がいつも使っている散歩用の杖と同じものが含まれており、義父の手彫りで「Y」と刻まれている。

犬にもプレゼントが与えられた。この数ヶ月をダイエットの為の食事制限で過ごしていた彼女は久しぶりのおやつに半狂乱の喜びで応じ、人々の足元をやや無謀とも思われる速度で縦横無尽にすり抜け駆け巡った。

英国人は大の大人もボードゲームが大好きらしく、デパートや大きなスーパーにさりげなくボードゲームのコーナーが設置されている事が多い。

この日もカルカソンヌやクリベッジ、ビリヤードに似たカロムでしこたま遊んだ。

夕食の後は皆で円になってクリスマスクラッカーの両端を引っ張り合い開封した。中にはジョークの書かれた紙と紙製の王冠、小さなプレゼントが入っており、プレゼントは栓抜きや特大のペーパークリップ、30cmほどのメジャーなど、有用無用の区別なく様々である。義妹はバネとリングを用いた手品を見せ、「英国人は皆、ハリー・ポッターの親戚なのだ」と私に言ってのけた。

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町内会のお祭り

オルドボーン町内会の主催するお祭りがあると聞いて、Hollyと義父母と行って来た。

メインの会場となる鍛冶屋の前に着くと、人だかりの中心で町の人々がクリスマスキャロルを歌っていた。それぞれの歌がキリストの誕生までの物語を歌っているという。

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チャリティとしてホットワインやジンジャーブレッドなども置いており、お気持ち程度の小銭を渡せば、小腹を満たすとともに、ほろ酔い気分でお祭りを楽しめる。

初めてホットワインなるものを飲んだが、熱燗に似ていてとても美味しい。

どうでも良いが、どの露店も決まって店先が暗かった。

明かりは蝋燭やLEDの電飾のみである。

Hollyに聞くと白人はアジア人に比べて夜目が効くからではないかとの事であった。

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鍛冶屋の裏側へ廻るとハンドベルの演奏をしていた。

紳士淑女の皆様はクリスマス柄のセーターで洒落込んでおり、私も今シーズン用に1着買おうと決めた。

サンタの帽子には電飾で「HO!HO!HO!」と刻まれている。

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ハンドベルの演奏が終わると、今度は鍛冶屋の建物の中でバンドの演奏が始まった。

「皆さんすみません、こんな格好をしていますが、実は私たちはアメリカ人ではありません!」の掛け声と共に始まった曲はまさかの「カントリーロード」だった。ギリギリの人種いじりである。今までのクリスマスムードはどこへ行った。

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しかし、楽しければそれでいいのだ。会場の人々は手拍子と共に大合唱を始めた。

英国人は一人で歌うのは恥ずかしいが、皆で歌うのは楽しくて仕方がないという。

 

あっという間に時は流れ、お開きの時間となった。

クリスマスソングは最後の一曲だけであった。

観客は三々五々に家路を辿り、露店は各々店じまいを始めた。

祭りの後の寂しさは、万国共通である。

それぞれの厳かな日

Hollyの家族と食事をしながらクリスマスの話をしていた時、日本ではクリスマスにKFCを食べる事がままある事を話した所、食卓が阿鼻叫喚の地獄絵図となった事がある。

なんでも、クリスマスにKFCを食べる英国人は、自殺を目前に控えた孤独な中年以外にありえないという。

英国のクリスマス家族や親戚が一堂に会し、食事を囲み、プレゼントを贈り合う。クリスマスの翌日はボクシングデーとして貰ったプレゼントで遊ぶのだそうだ。

ボクシングデーは日本ではあまり馴染みがないが、元々はクリスマスにも仕事をしなければならなかった、屋敷のバトラーや使用人などを家族と過ごさせる為に設けた祝日であり、この日は屋敷の主も身の回りの世話を自分でやらなければならなかったそうな。

 

 

これは確信を持って言える事だが、英国人にとってのクリスマスは日本人にとっての正月に相当している。

英国人にとっての1月1日はむしろパーティの日であり、家族とよりは友人と過ごす事を選び、どれだけのKFCを食べても何の問題もない。

逆に、日本人が正月にマクドナルドを食べて過ごすと聞くと、なんとも不届きな感じがするが、クリスマスに友人らとKFCを食べる事にはあまり抵抗を感じない。そもそも七面鳥が手に入らない。

ちなみに中国と韓国では一年で最も重要な日は旧正月に当たる春節であり、やはり多くの人は家族と過ごす。旧暦を使用しているため、毎年日付が異なる。

 各国それぞれの厳かな日。